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災害のための知識

原子力発電
 
嫌でも好きでも、とりあえず、知識としては身近になった。
大震災が起こるまで、原発の構造について理解していた人はほとんどいないだろう。
原子力が嫌いなひとも、現在使っている電気の3分の1は原子力発電所で作られている。
そんなことには関心がなかったはず。
 
日本の原発行政を推進する経済産業省と監視機関の原子力安全・保安院を分離する案
フランスのように透明性を高めるべきだとの意見も多い。
 
ある放射能漏れ事故が起こった時には、保安院さえなくて、警察が歯がゆい思いをしたと聞いた。
少しではあるが、前進している。
でも遅すぎるようだ。
 
 
 
義援金と支援金
 
義援金は聞きなれているけれど、支援金となるとよくわからなかった。
どうやら、今すぐに必要なのは支援金のようだ。
 
阪神大震災で問題になった(らしい)義援金
義援金に即効性がないことが明らかになったそうな。
平等に気を取られすぎて、目の前の問題を解決できないのが残念。
  
以下はサイトからの引用です。
 
 
義援金」と「支援金」[2011年03月18日(金)]
 多くの方はご存じと思うが、「義援金義捐金)」と「支援金」の相違について説明しておきたい。

 東日本大震災への寄付が集まりつつあるが、テレビ局や共同募金会でおこなっているものは「義捐金」と呼ばれるもの。私が役員をしている市民キャビネットや市民協で行っている寄付は「支援金」だ。

 「義援金」は、通常は日本赤十字社にすべて集められ被災者に分配する。阪神淡路大震災において最終的に配分されたのは震災から6か月以上後のことだ。

 どうしてこのように遅くなるのかというと、「公平・平等」にしなければならないために被災者の総数、それも被害状況(全壊か半壊かなど)を把握しなければならない。これが容易なことではないのだ。今回も数千億円集まると思うが、たとえば2000億円集まって200万人に配分すると、1人当たり10万円がいまから6か月以降に支給されるというものだ。

 だから、義援金に寄付をして、テレビに出ている被災者にわたっていると思うと大間違いなのだ。

 これに対して「支援金」は、この大震災において活動しているボランティア団体・NPO、あるいはそうした団体が必要だと考える人びとに支給される。また、この現金はガソリンや食料品、おむつなどに変えて、必要な人に配られる。即効性を考えるなら、この支援金の方が友好な手段だ。

 だが、「支援金」には公平性・平等性は担保されない。例えば、私が専務理事をしている市民協には「宅老所を全国に広める会」の事務局があり、当然のこととして「宮城宅老所連絡会」と関係が密だ。こうして宮城宅老所に義援金をおくるとそこの判断で資金は使われる。多分、宅老所の会員の困っているところへ重点配分されることになる。

 いま、紙おむつを送れという悲鳴に似た要望が被災地の介護系NPOから寄せられている。これを現物で「義援金」方式で送るとどうなるか。県や市役所の倉庫に詰め込まれるだけだろう。なぜなら行政は「公平・平等」でなければならないから、紙おむつを必要とする人数の把握から始める。これが例えば、10万人いたとしよう。しかし、義援金方式できたものが5万人分だとする。この場合、後5万人分が来るまで配分を待つというのが「公平・平等」の考え方である。

 このような「公平・平等」が必要なのは平時の時代のことであり、現在のような非常時は「不公平・不平等」こそ重要なのだ。これこそ支援金の意義であり、ボランティア団体やNPOが活躍する論理だ。

 市民協にはすでに百数十〇万円の支援金があつまっている。これからもどんどん集まるが、「不公平・不平等」にできるだけ早く活用をしていくことになる。

Posted by 田中尚輝