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危篤の連絡があった時

海外生活で一番の気がかりは日本にいる家族のことではないだろうか。
元気ならともかく、病気があったり高齢の場合は、とても心が痛む。
 
出来ればこのブログでは、楽しい日常の出来事を載せたいと思っていた。
もしつらいことがあっても笑い飛ばすぐらいの客観的な書き方をしたいと。
 
しかしながら、海外生活をするうえで一番気がかりなことを載せることで、同じような境遇の方の恐れや不安が少しでも楽になるかもしれないと考え、今回は何回かに分けて、この話題について書いていきたいと思います。
まだまだ、心の整理がついていないものの、今の心の状態を書きだしていくことで、マインドマップの様に今後の方向性が見えてくるかもしれません。
 
 
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                      マンハッタンへ行く電車からの車窓の風景 
 
今回、とうとう近い身内に不幸があった。
秋に入院した時には、春を迎えることはできないだろうと告げられたとの連絡を受けていた。
血縁関係のある夫は、その入院先と年末年始、そして幸いにも無くなる直前に間に合った。
 
入院したまま自宅に戻ることができないだろうとの連絡を受けた時は、年末年始に帰国するまで何もできない無力感、それにすぐに駆けつけることができない焦燥感や罪悪感にかられた。
 
何かできることはないかと話し合い、夫は仕事の調整を付けたうえ、単身で駆けつけることにした。
夫は海外生活が長く日本の家族も高齢なので、日本を離れるときには、これで会えるのは最後かもしれないとの覚悟があったようだ。
長男に生まれて生家の家業をついていれば、海外に来る選択はしなかっただろうし、活路を外に求めることを何よりも期待されていた。
 
いざ入院してみると、後悔することがたくさん出てくる。
一番は親孝行しておくべきだったということだろう。
有名なことわざ「孝行したい時分に親はなし」があるが、まさにその通りだった。
親孝行は親が元気なうちにしておくのをおすすめする。
入院してからでは、一緒に食事や、まして旅行なども楽しめるものではないのだから。
 
それでも、何とかできることはないか、喜んでもらうことは何かと考え、入院して間もない頃、夫は家族の(特に孫)写ったビデオを編集したものをアイパッドで見せた。
言葉を話すことは不自由ではあったものの、感情は十分に豊かだった様で、涙を流して見ていたそうだ。
 
年末年始の帰省で私が入院後はじめてお見舞いに行った時には意思疎通さえままならない状態だったので、思い立ったら早めに行動するのがいい。
元気だった時から比べると、すっかり別人のようになってしまった様相に接して、それまでに感じていた焦りや罪悪感とは違った、別のつらい気持ちでお腹の中が苦しくなった。
 
それでも、今回私たちは日本で介護してくれる家族に恵まれていたことはとても幸いだった。
一方で、気がかりなのは、私の身内に介護が必要になった時には人手がないということだった。
そこで、いざというときには私が帰国してもいいかどうかと話し合ったところ、すんなりと承諾してもらえた。
漠然と不安を抱えることなく、今後起こりうることについて事前に話し合ってみると、案外心が楽になるかもしれない。

 追記                    2018年7月

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