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危篤との連絡を受けた時 -- 心のケア

 
入院してから3か月が経過したあたりで一時帰国し、はじめて見舞いに行った時は、以前から比べると20キロ以上体重が減っていたのだろう、別人のように痩せて見えた。
心づもりをしていたはずの私でさえショックだったのだから、子供にとっての心の負担が大きかったに違いない。
それ以来、病室に入るのを嫌がった。
 
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        ハロウィーン前後に開催されるかぼちゃのランタン展示 結構怖い
 
病室は個室ながら、人が複数入るには狭い空間だった。
毎日そばについているのはさぞかし気分が滅入ると思われた。
家族以外の方々にも手伝っていただいたので、夜起きても寂しがるのではないかと心配することもなかった。
この様な大変なお仕事を引き受けてくださる方がいるのは有難い。
 
 
終末期や慢性患者のいる病棟に勤める看護師は、他の病棟に勤めるよりも、うつ状態になりやすいそうだ。
一生懸命世話をしても報われず、不本意な別れをしなければならないことも多いだろう。
その様に無力感を感じるときには、命を助けるというよりは、残りの人生をその人らしく生きられるように手助けするのが大事だと価値観を変えて考えるのがよいと、精神科医が書いた本を読んで納得した。
 
 
 
永眠したとのメールを見たのは、フライトに乗れることが決まる直前、発券カウンターの前にいた時の事だった。
夫が先に病院に到着してから数時間も経っていなかったので、親子のきずなや縁というのを感じずにはいられない。
私たちが着いた時には既に自宅に運ばれていた。
横たわって布団をかけられている姿が目には行った時、はじめてその時が来ていたのだと実感した。
その時も、子供は決して近寄らず、親戚の集まる居間へと走っていった。
 
 
そして、お通夜の夜に子供と隣り合わせのベッドで寝ようとしたとき、「ママ、死なないで」と訴えてきた。
孫のお世話をするまでは大丈夫と笑いながらこたえても、交通事故などもあるかもしれないと不安がっていた。
それでも、葬儀の時には、大勢が参列する中、名前を呼ばれた後に、しっかりとした足取りで焼香に向かっている姿があった。
子供は喪失感のつらさより、死がすべての人に必然的に訪れることだと身近に理解して恐怖感に怯えたようだった。
天国はいいところだから大丈夫と説明しても、説明している私自身に確信がないため、説得力に欠けるところがつらい。
どうせ答えは出ないから、40歳ぐらいまでは考えないほうがいいよと伝えたが、その後も、10日間ぐらいは一人で寝ることができず、今でも暗いところを怖がって一人でトイレにも行くことができない。
 
もっと早くデリケートな心に気づいてあげるべきだったと反省した。
たくさん楽しい経験をさせることで、恐怖感から距離を置くことができるのではないかと夫と話し合った。