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危篤との連絡を受けた時ーーー 別れを受け入れる

今回は別れの受け入れ方や心の変化について書きたいと思う。
              
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                  渡り鳥 カナダから飛んでくるそうだ
 
心の持ち方ひとつで楽になると痛感したのは、葬儀の後だった。
儀式というのは形式的に見えるが、実は心の中でけじめをつける意味でとても大切なものだとよくわかった。
弔辞を聞くことで、今まで自分が知らなかった故人の生きてきた道のりを垣間見ることになった。
 
 
同級生から送られた弔辞は、生き生きとした子供時代を参列者の心に描かせた。
そこには何の肩書も地位も名誉も関係ない、むっちゃん、いっちゃん(仮名)と呼び交わす仲の純粋な友情がつづられていた。
3年ほど前、地球の反対側に住むむっちゃんに会いに行く旅先で入院したことが、結果的には寿命を縮めることになったと心を痛めていたが、それは70年前のいっちゃんに回帰する旅だったのだと気づいた。
今は、80年以上前、生まれる前のまっさらな魂に戻っているのかもしれない。。。
 
葬儀でこのような弔辞をきくのは珍しいかもしれない。
故人の人生をほんの一瞬でも追体験する貴重な時間だった。
弔辞のリクエストを準備していたかどうかは不明だけれど、参列者の心に残る工夫をするという課題をいただいたようにも感じた。
 
葬儀を終えてからは、故人がとても素晴らしい人生をおくったことを確信したせいか、心が軽くなった。
また、老衰という過程を見ているので、心の準備ができたことが幸いしている。
しかし、突然の出来事の場合には、葬儀やその後の手続きに追われ、やっと落ち着いた時に悲しく空虚な気持ちになることは理解できる。
その様な場合には、本人が苦しむ時間がとても少なかったことをポジティブに受け入れることで、心が楽になるかもしれない。
 
周りの友人を例にとってみると、仲の良かった母を亡くした場合は喪失感が大きいように思える。
あの時ああしておけばよかったと自分を責めたり、思い出を美化しすぎて、現在の状況をむなしく思ってしまうこともあるらしい。
人間関係の中でも、特にうつ病になりやすいのが喪失体験だと書かれてある。
また、若いころに先立たれた場合には、年月を経ても心にとても深い悲しみを抱えているように思える。
 
 
現実を受け入れて距離を置き、自分を取り戻していく 過程をスムーズに移行することが、心の健康のために大切だとあらかじめ知っておくのも良いかもしれない。
悲しみから距離を置くための方法として、楽しいと感じることを中心に日記に書き留めたり、楽しい計画をたてることも効果的だそうだ。
心のスペースは限られていて、悲しいことよりも楽しいことを多くすれば次第に悲しみから立ち直ることができるのかもしれない。
 
親しい人が亡くなると、宗教や詐欺師が寂しい心に付け込んでくるという話をよく耳にするが、精神科の書いた著書を読んでみると、宗教などに頼らずとも、心のコントロールはすんなりとできるものなのだとよくわかった。
いずれにせよ、年老いた配偶者が残されている場合には、十分な心のケアが必要だろう。