どこでもブログ

役に立ちそうなこと、失敗談などを適当に書いています

書籍紹介 「風水の真実」

新年から日経アーキテクチュアをとり始めるようになり、それに伴って、
ケンプラッツというメルマガが送られてくるようになった。

そのサイトで色々見ているうちに出てきたのが、細野透氏の書籍。
細野氏は前述の雑誌の編集長をされていた方。
昔、学生の頃に、氏の主催する建築家の講演会に何度か足を運び、講演後の
懇談会で話しかけたことがあったので、私からは一方的な面識がある。

一般の方にとっては、結婚式の日取りを決める時に仏滅を避けるように、
家を建てる時、鬼門や方角について気にされる方は少なくないと思う。

一方、建築を設計する業界での扱いはどうなのかというと、風水の話を
した途端、その人は、異端どころではなく、建築に無知な人扱いされる。
細野氏も、かつて、編集部員に風水の記事を扱ってはどうかと話したところ、
「風水に手を出すと、邪道に進んだと思われて恩師に見放される。」という
主旨のこたえが返ってきたそうだ。

この著書を書くにあたっても、建築ジャーナリストとしてのキャリア傷がつくの
ではないかと心配されたと書かれているように、建築学とっての風水の
位置づけは非常に厳しい

イメージ 1
一流の建築ジャーナリストが風水について書くのは、かなり稀なこと

この本には、黄色をどこそこに置くと。。。。などという細かいことではなく、
発展していった過程や概要、考え方、割り出し方などが書かている。
それがどうもしっくりこないというか、複雑だし面倒で、どうでもよくなってくる頃に、
著者から「読みとばしていいよ」との言葉が書かれているのを見つけて、早速、
中国の風水鑑定士登場の場面を読んだ。

ここが一番面白いところで、いわくつきの物件について鑑定してもらう。
いやはや、一流の鑑定士にはかなわない。
おっしゃる通り。その通り。
悲しい過去のある建築について、予備情報を与えない状態で鑑定してもらうという方法だったが、見事だった。
方角などももちろん考慮しているが、直感で感じる要素が大きいような気がする。

現代の都市に住んでいると、この感覚が鈍ってくるように思う。
あるいは、感覚を鈍らせなければ、辛くて住んでいられないのかもしれない。


話を風水の鑑定にもどすと、「方角が悪い」等は真実味にかけるような気がするが、例えば、
何となく落ち着きない感じがする、気が詰まる、しんどい、とか言った感覚的なものに関しては、
現場に行って感じるものなのかもしれない。

ある建築家が、表参道ヒルズに関して、落ち着ける場所がない旨のという表現をしていたが、風水師の「気」ということばを用いた表現方法とは異なるものの、内容はほぼ一致している。
彼は改善案も提示したが、それを読む限り、この建築家よりも一枚上手だと思わせるほど。

私は学生時代、恩師から文脈を読み取ることがいかに大切なのかということを学んだが、
現代建築のデザインをするものとしては、の土地の持つ文脈の把握やそれに沿ったデザインや計画、機能、人間的スケール感を心がけることで、風水に頼らなくても素晴らしい建築をつくりあげることが出来るのではないかと思う。

今回は風水を評価する書き方になってしまったが、また近いうちに、住宅に風水を取り入れる場合の落とし穴について書いてみたい。


NYの場合

NY郊外には住人の平均年収3000万円程度の緑豊かな高級住宅地が点在していて、
マンハッタンへの通勤には1時間程かかる。
所得が多い場合には、マンハッタンのような無味乾燥した閉塞感のある都市には
住んでいられないという思いや、子供を豊かな環境の中で育てたいとの願いが郊外型の
生活に気持ちをむけさせるのだろう。

広い裏庭のある一戸建ての環境を守るために、マンション開発や小さな住宅の建設を禁止するなど、芦屋の六麓荘以上に厳しい制限を設けている。
ビヨンセも、有名なヒースコートという通り(←以前かきました)に越してきたとのこと。
日本人は摩天楼に憧れるが、アメリカやヨーロッパの富裕層の憧れは別のところにある。
郊外型の緑豊かな邸宅(セカンドハウス)を持つというのは、アメリカンドリームでもある。



追記
2018年7月
小さなオーガニック食品・雑貨専門店をネットではじめました。
楽しく安全美味しくセンス良くが目標です。
応援よろしくお願いします。
Naturange